「だからここへ来たのに。」
楽譜は既に、別の場所へ移動していた。綾波は走り出した。
別の場所へ移動していると云うことは、月が満ち始めている、と云うことである。
「父さんは、私に託したのよ。」
楽譜が何処へ移動したのか、必死で考える。
見つける前に、満月になってしまえば、何もかもが変わってしまう。
ペンダントの鍵を握り締めて、綾波は走っている。
道は、真っ直ぐに続いている。右手に、白い大きな門を見つけた。
「ここ…!」
綾波は、記憶からこの場所を思い出した。
「そうよ、ここなんだわ。ここにある筈なのよ。」
ペンダントの鍵で、ガチャッと云う音とともに、門が開かれる。
そっと覗くと、池のほとりに黒のグランドピアノが置いてある。庭のようだ。
「ここは…確か…」
ピアノに、楽譜が置いてあった。どうやら、満月には間に合ったようである。
満月は、切なくなるほどの光で、綾波を照らした。
「ドビュッシー ベルガマスク組曲3番『月の光』か。ここにあるべきなのよ。」
綾波は、楽譜を開いて、弾き始めた。
満月は、綾波の周りを取り囲むように照らしている。
ドビュッシーが長年かけて書き上げた曲は、情景描写に富んでいる。
池と、ピアノに、満月が写って、
その光景すら、美しいものがあった。